化蘇沼稲荷神社の芭蕉、涼谷、由之句碑

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茨城県行方市内宿の化蘇沼稲荷神社にある芭蕉、河野涼谷、山居由之の句碑を見に行きました。
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豊作祈願の行事としておこなう奉納相撲で知られている神社です。境内の土俵を見ていたら、一茶の宮相撲の句を思い出しました。
べつたりと人のなる木や宮角力  一茶
この句は化蘇沼稲荷神社で詠んだ句ではないようですが、茨城県北相馬郡利根町布川の琴平神社にある句碑に刻まれています。大勢の見物客に囲まれて盛り上がる宮相撲の歓声が聞こえてきそうな句です。文化14年(1817)5月25日、一茶は化蘇沼稲荷神社に来ています。その時の行動についてはよくわかっていませんが、境内に今でもある大きなもみの木は一茶も見上げたことでしょう。
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芭蕉はこの地に訪れていませんが、芭蕉と涼谷の句碑があります。
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この道やゆく人なしに秋のくれ  翁(芭蕉)
名月も昨日になりぬ峰の松  洞海舎涼谷

 芭蕉の句は「自身が突き進んだ俳諧の道を歩む孤独感」が詠まれていると考えられています。涼谷は行方郡帆津倉村の人で、酒造業を営んでいました。別号は洞海舎。初号は里石で佐原の今泉恒丸に俳諧の手ほどきを受けました。のちに李尺と改め、文政十年以降は涼谷と名乗ります。恒丸の没後は高梨一具と親しく、『ありのまゝ』『もゝ鼓』(八編)『吾都麻布里』等多くの編著があります。文化14年に一茶が化蘇沼稲荷(李尺の氏神)に立ち寄った際は、おそらく帆津倉の李尺宅に泊まったのでしょう。涼谷は天保6年(1835)9月に74歳で亡くなりました。
 句碑は安政5年(1858)洞海舎涼谷社中が建立したものです。尊敬する芭蕉と、地元の指導者だった涼谷の句を並べて碑に刻んだものです。
 境内にはもう一基、芭蕉句碑があります。

長き日を囀(さえず)りたらぬひばりかな 芭蕉

この碑には建碑の年代が刻まれていませんが、碑陰(石碑の裏側)に山居由之の名がありますので、江戸時代後期に建てられたものだとわかります。山居由之は行方郡武田川岸の福田屋重左衛門という人です。文政元年に涼谷が出版した『ありのまゝ』という俳書の序文を書いた人で、その序文によれば、今泉恒丸に俳諧の手ほどきを受けていたことがわかります。恒丸は一茶の知友で、当時の房総地方に多くの門人を得た宗匠でした。文政5、6年頃に発行された「正風俳諧師座定」(『一茶の総合研究』所収)という全国俳人番付に、別格の世話人の一人として「常陸 由之」の名があります。由之は私たちの想像以上に知名度の高い俳人だったようです。涼谷と由之、河野有美(俗称新五郎 臨江舎 天保2年(1831)6月27日没)の三人は、恒丸の追善集『玉笹集』に、恒丸の遺吟を立句にした三吟の連句を巻いています。
 芭蕉の「長き日を」の句碑の隣に、由之の句碑があります。
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冬牡丹水も薪も裏の山 由之

 気取りやてらいのない、ありのままの生活を詠んだのかも知れませんが、現状に満足した郷土愛にあふれている作品だと思います。

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